清く正しくたくましく♪

関西出身・アラフィフ・おひとりさま、ろびんの日記です。旅日記を中心に、お出かけ・東京生活・美味しいもの・乳がんサバイバーの体調などなど、つらつらと綴っています

20年前の思い出(備忘録)

今日で、阪神淡路大震災から20年。

あれから20年もたつけれど、

20年たった今でも、

地響きのようなドン!という音には

異様なほどに体が反応し

しばらく心臓のバクバクが止まらない。

そして、当時の写真を見ると、涙が溢れてくる。

これだけは、

20年たっても

治らない体の自然な反応。

20年前の今日、

いきなりの激しい縦揺れの後に続いた

激しい横揺れに叩き起こされた。

気が付くと、たんすの下敷きになっていた。

鼻血を出した父親に助けられ、

極度の近眼の私は、ぐちゃぐちゃになった部屋の中から

弟にコンタクトレンズを探してもらった。

空が白んできて、目に入ってきた光景は…

一つ残らず倒れたたんすや食器棚。

家の中は文字通りぐちゃぐちゃだった。

近くの名神高速道路は、道路が崩れ落ち、

山手幹線は不通となっていた。

近くの駅前は、マンションが崩壊し、瓦礫の山。

のちにフランスからの救助犬がやってきた。

余震におびえ、リビングで家族全員で寝る日々。

近くのダイエーに食糧が来たと聞き、

寒い中2時間も並んだけれど、

欲しいものは手に入らなかった。

電気はすぐに復旧したけれど、

水・ガスはしばらく使えず、

カップラーメンは全く役にたたなかった。

3日後に、食糧買い出しとお風呂に入るため

大阪に出た。

レストランでは普通にエビフライがあって、

フィットネスセンターでは普通にランニングをしている人がいて。

全く普段の光景。

たった15分の距離で、こうも違うものかと

大きなショックを受けた。

でも、水・ガスがなくても食べられるパンは

どこも売り切れで手に入れることは出来なかった。

電車で30分のところにある会社の研修センターに

洗濯モノを持って、お風呂に入りに行っていた。

水が出ないので、会社で顔を洗ってから帰ってきた。

当時、某鉄道会社で働いていたので、

電車の復旧まで、男性社員は代替バスの案内等の現場。

女性社員は、お客様からの電話対応。

働くことである意味、救われた時期だった。

でも、嬉しかったこともいっぱいあった。

洋服ケースいっぱいに水を持ってきてくれた友人。

そのまま食べられる缶詰などを持ってきてくれた友人。

知り合いが、お風呂に入りにおいで、と

あたたかい料理とともに家に招いてくれた。

全国津々浦々の名前の入った消防車や救急車が、

あちこちで見られ、

ああ、全国の皆に助けられているんだ、って、心が救われた。

風化させてはいけない、

忘れてはいけない、

というけれど、

忘れられるはずがない。

震災で亡くなられた方々のご冥福を祈るとともに、

いずれは来るであろう災害に

人間の英知と、人との助け合いの精神で、

少しでも犠牲を少なくすることができれば…。

できるはずだと信じている。

黙祷。